2015年4月2日

翻訳家小尾芙佐氏の講演会に行ってきました

ご無沙汰です…と毎回書き始めるのも今度こそ最後に…

Twitterでアルクの佐藤直樹さんのツイートを拝見し、ベストセラー小説、『アルジャーノンに花束を』の訳者でいらっしゃる小尾芙佐氏の講演会に行ってきました。いつも貴重な情報ありがとうございます!
今回もメモなしですし、ちょっと時間が経ってしまったのですが、とても面白い話しをうかがったので備忘録的に記しておこうと思います。

83歳のお誕生日を迎える小尾氏ですが、背筋がしっかりと伸びて、マイクなしでも大丈夫じゃないかと思えるほど通る声でした。2時間ほどの講演で、前半は生い立ちから翻訳を始めたあたりまでをご家族のエピソードを交えながら、後半はアルジャーノンの秘話から最近手がけている古典の翻訳まで、翻訳にまつわるお話をいただきました。

★生い立ち


司会進行をお嬢様がなさり、当時の社会の様子を振り返りつつ、家族写真などを拝見しながら楽しいお話に耳を傾けました。

1枚目のお写真は小尾氏が5歳ぐらいのもの。探偵小説家になりたかったお父さんの影響で、家中に探偵小説が溢れかえり、身体も弱かった小尾氏は、こどもの頃から探偵小説の古典を読み漁っていたそう。時代は太平洋戦争の真っ只中で、疎開も経験。食べ物がないことよりも、結核の療養を理由に読書を禁じられ、活字に飢えていたことが辛かったというエピソードが印象的でした。

戦後、津田塾大学の英文学に進学するものの、英語が好きだったわけでもなく、入学したら周りはみんな勉強熱心でびっくりし、『高慢と偏見』の授業で課題とされた英文を読むも面白くない…と思ってしまったとか。尊敬する翻訳者さんでもそんなことが!と親近感が湧いてきます(笑)。

大学在学中は、フランス文学や太宰治などの日本文学を読みあさり、イタリアやフランス映画を名画座で見まくり、俳優座などに通い詰めて戯曲三昧…という生活に。色々な経験をしながらも、どこかで漠然と小説を書くといった創作はできないけど、いつか翻訳はやるかもしれないなと思っていたとか。天命というか、自分の進むべき道が見えていたのでしょうか。

卒業を前にして、同級生は続々と商社やスチュワーデスなど就職先が決まっていく中、求人票を見てもピンとくるものがなく、そのままお父様の事業を手伝うことに。しかし、しばらくして雑誌『それいゆ』の編集者の求人広告を新聞で目にし、学生時代から作文の成績がよかったし、編集者なら面白そうだと思って応募したところ、千人もの応募者からみごとに合格。この辺りは向田邦子が映画雑誌の編集者になった経緯と似ている気がします。

雑誌『それいゆ』編集部は体調を崩して1年ほどで退社するのですが、この編集部時代に早川書房の編集者であった福島正実氏と知り合います。早川書房のミステリーマガジン誌を愛読していた小尾氏は、福島氏にミステリーの翻訳をしたいと持ちかけたところ、ちょうど福島氏がSFマガジンの創刊に奔走していたところだったこともあり、SFの短編小説の翻訳を打診されます。これがデビューとなり、キャリアを積み重ねていきます。人生のターニングポイントに人と人とのご縁ってやっぱりあるものですね。

翻訳を始めたすぐの頃に、慶應大学で経済を教えていたご主人と出逢い、結婚。お嬢さんを出産。結婚、出産をしてもずっと仕事はやめずに続けていますが、それはご主人の翻訳と仕事に対する深い理解と、同居していたお姑さんの理解とサポートがあったからのようです。

お姑さんも働く女性であったため、仕事はできるけどお裁縫のできないお嫁さんに、「あなたにはあなたの仕事がある。お裁縫はそのプロに頼んだらいいじゃない?」なんて言うような方だったとか。会場でも思わず驚きの声が上がっていました。

★『アルジャーノンに花束を』


40才の頃、『アルジャーノンに花束を』を1年以上かけて訳します。日本で大ベストセラーになり、ドラマ化もされましたね。先天的な障害で幼児程度の知能しかもたないチャーリーが、外科手術を受けることで知能が驚くほど向上するが、その後また知能が・・・という物語。

主人公のチャーリーが自分の「経過報告」を記すという独白形式で進んでいきます。この物語が多くの人の心に深く届いたのは、チャーリーの筆運びに説得力があったからではないでしょうか。幼児程度の知能しか持っていない時期に書かれた報告、高い知能を得た時の報告・・・そして徐々に失われていく知能・・・。各段階での知能レベルがとても自然に表現されているため、物語の世界にぐっと入り込めるのではないかと思います。特に知能レベルが低い時の独白をどうやったらこんな風に訳せるんだろうと思っていたのですが、今回の講演でその秘密が明らかになりました。

実は、著者であるダニエル・キイス氏も、小尾氏がどのようにこの幼児レベルの知能を訳し、表現しているのか気にされていたようで、キイス氏の来日時には挨拶もそこそこに「どうやって訳しているんだ?」と聞かれたとか。小尾氏がとった方法は、同じ程度の知能障害があったとされる画家の山下清が記した『山下清の放浪日記』を読んで研究し、文法やつづりの間違え方に一定の法則があることをつかみ、それを忠実に訳文に反映させていくというものでした。

この方法をお話すると、なんとキイス氏もこの物語を執筆するときに、同じ知能レベルの人が書いた文章を参考に、共通する法則をみつけ、それをチャーリーの筆に落とし込んだそう!偶然ではありますが、原著者と訳者が同じ方法を採用していたんですね。このお話しを聞いて、これ以上原文に忠実に訳すことってできないんじゃないかなと思い、鳥肌が立ってしまいました。



この春に始まる新しいテレビドラマに合わせて出版された文庫版の巻末には、小尾氏が記したキイス氏の追悼文もついているそうですので、未読の方はぜひお手にとってみてください。

                     

★翻訳について

講演のおしまいに、翻訳についての心構えについてのお話がありました。小尾氏は原文に忠実であるを信条にしていて、まず原文の理解が大切だと。どんなにがんばっても、その文化がわからないと原文を理解できないことはあるので、周囲にいる留学生やネイティブの知人、海外に住んでいる同級生などに色々質問し、疑問を解決していくそうです。

そして次に日本語。これは日本人の作家が書いた作品をたくさん読むことが大切だと強調されていました。読むべき作家として小尾氏が大学時代に読んでいた作家の名前が多く挙がっているのを聞いて、若い頃に好奇心の赴くままに吸収したことが役に立つんだなぁと思いました。日本語は文体を把握することが大事で、この文章は日本人作家でいえば誰の文体がいいのか?と考えて決める過程の重要性を強調していました。具体的に文体を決めるというのは、時代背景や社会構造も知らないとできないし、人物が置かれた状況・環境はどうなのかなど、抑えるべきポイントがあり、日本語に対するセンスを学びとることにつながる、と。


具体例を挙げると、小尾氏が手がけた『高慢と偏見』では、当時の社会をよく研究し、Mr.DarcyとElizabethとの置かれた地位の差などを考慮して、既訳にはない言葉使いを選んだとおっしゃっていました。




他にもSFを訳す楽しさや優秀な編集者と仕事ができる喜びなど、興味深いお話もたくさんいただいた2時間。これまで一度も講演をしたことがないという小尾氏の貴重なお話を楽しめました。帰りにサイン会もあり、ちゃっかり持参した書籍にサインをいただいてきました!

1 件のコメント:

  1. 初めまして。『アルジャーノンに花束を』について興味深く読ませていただきました。この本は高校時代に読んだうちで最も好きな本の一つです。小説の内容以外に翻訳の苦労などについても知ることができて良かったです。しかもこんなに詳細に。
    Daniel Keyesの原書も持っていますが、こちらはページをめくってざっと眺めただけ。いつかは読んでみたいです。

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